小林孫兵衛記念医学振興財団

特定医療法人 万成病院
小林孫兵衛記念医学振興財団
設立趣意書

『医学博士、小林孫兵衛先生は(雅号 松風)明治27年(1894年)3月1日、彦太郎、今夫妻の長男として岡山県児島郡波知村(現玉野市八浜町波知)に生まれる。
八浜小学校、岡山県立岡山 中学校(後の岡山県第一岡山中学校、現岡山県立岡山朝日高等学校)に学び、志を医道に立てて 大正5年、岡山医学専門学校(後の岡山医科大学、現岡山大学医学部)を卒業。更に奥義を極めるためドイツ・ベルリン大学、スイス・ベルン大学に留学研鑽を積む。この間、大正8年3月5日 上房郡有漢村の吉田秀子(明治29年1月31日生、昭和58年 8月15日没、徳林院心月宗秀大姉)と婚姻、四男二女(故和彦、滋、故静江、達也、稔、澪子)をもうけた。大正15年岡山医科大学より医学博士の学位(第16号)を授けられた。昭和2年 日本赤十字社岡山支部病院初代院長として招かれ、同9年まで在任、病院の基盤確立と、赤十字運動の普及推進、地域医療の充実発展に 貢献。昭和10年9月1日、岡山市弓之町に内科小林病院(特定医療法人 万成病院の前身)を開いて診療と病院の経営に専心された。先生の人となりは謹厳寛容、和魂洋才、医は仁術の実践者であり医療奉仕の具現者、真に国手の名に恥じぬものであった。永年母校岡山一中の校医として生徒の健康管理は勿論、診断を通じて 徳性情操の陶冶にも努力されたので、薫陶を受けた生徒より慈父の如く敬慕された。しかし乍ら 宿痾に克つこと能わず、惜まれつつ齢49歳で逝去、時に昭和18年(1943年)6月3日、法名杏林院仁性義哲居士として、玉野市八浜町波知猪の窪の地に葬られた。
以上は、昭和63年11月吉日、小林孫兵衛生誕の地(玉野市八浜町波知)へ設立された“小林孫兵衛先生頌徳碑”の碑文である。小林孫兵衛の妻秀子、次男滋、三男達也は、孫兵衛の遺志を継いで、昭和29年7月17日、万成病院を開設し、昭和31年8月1日、医療法人に組織がえ、昭和43年3月30日に特定医療 法人の認可を得た。開設当時定床70床であったが、その後、数度の増改築を行い平成3年5月13日、老人性痴呆疾患専門治療病棟を増築し、定床620床の病院(内科、精神科、神経科、歯科)となった。同日、老人保健施設 岡山リハビリテーションホーム( 85床、通所15 )も開設し、老人性痴呆疾患 デイケア、精神科デイケア、老人保健施設デイケア、更に機能回復訓練センターを開設し平成5年5月1日から老人訪問看護ステーション 岡山リハ・ケアステーションを開設し平成6年5月1日 精神障害者社会復帰施設グループホーム しらゆりホームを開設して、岡山リハビリテーションセンターとして、科学的で且つ適正な医療の普及に貢献している。このたび、以上の如く発展した特定医療法人 万成病院の礎を築いた小林孫兵衛生誕百年を記念して医学研究、特に難病、生活習慣病、老年病、精神障害に関する医学的研究及び医学的リハビリテーションに関する研究に寄与するのを目的として、「小林孫兵衛記念医学振興財団」を設立した。

平成5年7月17日

令和6年度募集に関しては、5月下旬から6月上旬に募集要項を掲載予定です。